芸人Mとの休日

大物芸人コンビのボケ役「M」とはプライベートで遊びに行く程の仲である。
彼は若手芸人を引き連れてナンパや旅行をすることで有名な「兄貴分」であったが、
昨年結婚したこともあってか僕とはそういった年功序列や芸歴の上下関係無しで
純粋に友人として接してくれているようだった。
先日も、とあるイベントにふたりだけで潜入。
潜入と書いたのは、当然誰もが知る有名人であるMは変装をして外出せねばならず、
マネージャーもいないこの時間に何かあれば必然的に僕が守らなければならない。
そんな責任はないのだが、そういう損な役回りになるのはしょうがない。
Mは国民が愛する芸能人、僕は誰も知らない映像監督。
どちらがより大切に扱われるべきかというのは明白。
少なくとも、僕はそう思って慎ましく行動していたつもりだった。
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昼時。
Mは食事をしようと会場の外へ出ることを提案。
近隣にあまり外食店舗が見当たらないこの地方都市の寂れた場所では
あちらこちらとさまよい歩くのが目に見えていたので合意しかねたが、
彼がそう言うのであれば従う他ない。
大勢の一般人をかき分けて会場のエントランスを目指すM。
その後ろをついていく僕。
が、Mが突然思いついたように踵を返した。
M「う~ん、やっぱ、中で食おか。
 さっきから臭うカレーが気になってん」
僕「そうっすか、カレーもいいっすね」
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僕らは会場の後方部にある出店のひとつに並んだ。
10分程待った後、ようやく注文の番に。
驚いたことにイベントの出演者である書道家が注文をとっていた。
どうりでこの出店だけ圧倒的な人気があったわけである。
若い女性客が黄色く濁った声ではしゃいでいた。
Mはその書道家と面識がなく、かつ知らないらしく。
その盛況っぷりに面食らったような素振り。
M「リョウちゃん何がええん?」
僕「レッドカレー……かな」
M「兄さん、レッドカレーと、ドライカレーのシシカバブ乗せをひとつ」
Mが注文するも、その書道家は慣れないらしく注文を聞き返し、
かつ間違うというコント並みの醜態をさらした。
M「やや、ちゃうやん、シシカバブ言うたんですよ。
 しっかりしぃや兄さん」
Mもその状況を楽しんでいる様子で、
テレビでよく見かける癖のある笑いを噛み締めたような素振り。
対し、書道家はその「ツっこみ」に不機嫌になったのか、
目つきがするどく光ったのに気がついた。
僕は間に割って入り、穏やかな口調で注文を繰り返した。
あり得ないくらいに待った。
ささやかな復讐なのか、それとも慣れない客商売に手こずっているのか。
Mとの会話も尽きた頃に、ようやく注文したカレーを持った書道家が来る。
彼は何やら印字された大きなレシートを持ちながら、
書道家「レッドカレーが500円。ドライカレーシシカバブ乗せが700円。
 対面相談の10分基本料金30,000円に、延長時間2分で20,000円プラス。
 合わせて51,200円となります」
Mはその面白くないボケに微笑みながら
M「たっかいな~、せめて延長料金は兄さんの段取りもあるんやからまけて~な」
などと皮肉を交えて応戦している。
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僕は違和感を感じた。
冗談なはずのそのやりとりだが、書道家の目つきは真剣そのものだ。
なるほど、よく見ればカレーのメニュー表の脇に小さく
『人生相談つき』と書かれているではないか!
書道家は声を荒げ、
書道家「あなた方は何をしにここへ来たのですか!
 さっさと料金をお支払いなさい!」
と叫んだ。
さっと静まり返る会場。
全員が、こちらを振り向いたのがわかる。
Mがキレる。直感的にそうわかった。
彼のキレる「間」も、長いつきあいの中で知っている。
有名人である彼がこの会場に起こった事件の中心にならぬよう、
僕はその0.01秒前にキレることにした。
僕「ちょ、待ちなさいよ!アンタどう考えたっておかしいでしょ?
 僕らは何の相談もしてないし、もししてたとしても時間かかったのは
 アンタのせいじゃないの?あ!?」
我ながら野太く響かせた怒声に、数名の黒服が飛んでくる。
開戦してしまった後悔と共に、底知れぬ恐怖が襲いかかる。
黒服「お客様、申し訳ありません。何か手違いでも?」
僕「手違いとかそれ以前にさ、ここはカレーを頼んだだけで5万もとるわけ?
 人生相談とかメニューに小さくあって、こんなの今気づいたし。
 ボッタクリもいいとこじゃねぇか!」
黒服「はぁ……とにかく、奥の方でお話しましょう」
僕「おいおい、『はぁ』じゃねよ!」
震えている体を悟られないようにしながらも、
後に引けない僕は叫び続けた。
会場の別棟にある会議室に、僕とMは案内された。
おそらくそこで、この料金請求にどうカタをつけるか話し合いが持たれる。
Mは僕が先にキレたことで怒りが収まったのか、
M「ちょっとトイレ行ってくるわ。待ってて」
などと緊張感のない声で歩いていった。
遅れて、赤いパーカーを深々と被った子供が、
僕の前を過ぎて会議室に入ろうとする。
なぜ子供が?と思った矢先、子供は僕を睨みつけた。
……書道家だった。
書道家は極端な短足で、身長140cmにも満たない。
この事実に驚いた。
と、後方で女の子の声がする。
女の子「ママ、あれ教祖様じゃない?」
振り返ると、母親に抱きかかえられた女の子が書道家を指差していた。
母親「指差さないで!」
母親は深々とその教祖様に向かってお辞儀をする。
教祖、すなわちその書道家も、軽く傲慢にアゴを動かし答えた。
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僕は黒服に中へと促されるが、
「相方がトイレから戻ってくるので」と外で待つことに。
しかし、10分経っても15分経ってもMは帰ってこない。
少し開いた会議室の扉から、無言でこちらを伺う数名の目線が気になった。
思えば、これでよかったのかもしれない。
Mはトイレに行くと言って、おさらくここを立ち去ったのだ。
自分が有名人であることをきちんと自覚し、
この事件に巻き込まれることを避けた冷静な判断。
そう理解したとき、とたんに涙が溢れそうになった。
これから僕はどう対処したらよいのだろうか?
実は宗教団体であったイベント主催者達に、
もしかしたら抹殺されてしまうのではないだろうか?
混乱と恐怖が入れ替わり立ち代わりこみ上げてくる。
一時はMに頼れるような、そんな気でもいた。
誰もが知る大物芸人が笑顔で「いやぁ相方がすんません」と言ってさえくれれば
その場が丸く収まるような、根拠のない期待もあった。
そのMも、もう戻ってこない。
僕には会議室の横を通る、
トイレへ続く道をガタガタと震えながら見つめることしかできなかった。
そのとき、背中をドンと押されて……
起きた。
そんな、夢を見た。