Human Evolution 2

53x46cm
2023
Oil, Acrylic, india ink, alcohol marker on canvas and old clothes

コンセプト:
多感な時期を古着の街・下北沢で過ごした。海外発のTシャツやジーンズ、帽子やブーツまで。それらはまるでゲームの中で遺跡から発掘された伝説の装備のように、弱い自分の変身願望を満たす、憧れの対象であった。いつか大人になってお金を自由にできるようになったら真っ先に古着を購入したい、そんな話を友人にしたことがある。真っ先に飛んできたのは「古着なんて気持ち悪い」のひと言だった。

古着は当然のことだが、誰かが着ていたものだ。その服の数だけ、まつわるエピソードがある。それは、ここぞというときの勝負服として着られていた服で、誰かと愛の言葉を交わす夜を過ごしたラブストーリーかもしれないし、重い病気を患った持ち主と闘病生活を共にした服で、何かをやり残したまま亡くなってしまった悲劇かもしれない。そんな古着の持つ「個人の記憶や想い」を感じるなら、確かに気持ち悪いと捉える人もいるかもしれない。鈍感な私にとっては映画作品を探すようなとても楽しい妄想遊びなのだが、友人は違ったようだ。

古着を選ぶということは、サステナブルで地球に優しい行為だ。しかし、古着が大量に流通するということは消費社会の裏返しでもある。そして、古着を発展途上国などに寄付するという動きもあるが、その実態の多くは転売ビジネスとなっており、寄付先の繊維産業の衰退に繋がり、雇用減少に至り貧困を助長していることはあまり知られていない。世界の衣料の生産量は必要とされる量をはるかに上回り、ゴミとして焼却処分、国によっては年間100トンを超える量を埋め立てており、この大量生産・大量消費のサイクルは環境問題にも繋がっていく。

古着は「個人の記憶や想い」を染み込ませられるメディウムとして、大量消費社会を語る上で欠かせないモチーフとして、さらに、よりマクロに捉えると面白い。服を脱ぐと、人間は無防備になる。猿と一緒だ。服を纏っているということでかろうじて原始からの脱却をした知的生命体であるという世間体を保っている。現に街なかで素っ裸でいたらこの現代社会では逮捕されてしまう。服は「個を社会と切り分けるもの」なのである。

だから私は、キャンバスに古着を纏わせてみた。途端、このキャンバスは極めて個人的なものであると同時に社会的造形物になる。そして原始、つまり宗教画をはじめとした純粋な絵画芸術から脱却し、現代における先端芸術に身を置くという世間体をとる。さらに現代アートもマーケットに大きく左右される産業であり、そこを流通する作品たちも、まるで大人のための着せ替え人形のごとく消費されていく。そんなアイロニーを込めて、唯一無二の人生ドラマを包括する、NFTでは扱えない一点ものの作品として、ここに表現する。

今、個々人が社会への関わりを見つめ直すことを求められている。