恐怖の猫変化

こ・こわい・・・自分の飼い猫が。
今までとても優しかった(親バカではなく)アビシニアン猫のラムネさんが激変してしまってから12時間経つ。私は彼女に「引っ掻かれないよう」「噛まれないよう」常に警戒しながら、PCデスクに座り、地面に足をつけずに作業している。足元には、彼女が背を向けて佇んでいる。ああ、攻撃してくるなら側に来ないでくれよ・・・とも思ってしまう自分が悲しい。しかしながら、噛まれ筋繊維まで炎症してしまった左手が疼き、恐怖心がかき消せないでいるのも事実。
この状況は、いつになったら和らぐのだろう・・・そして、収まったとして、再び芽を出すのではないかと考えると・・・困ったなぁ。

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※もうカメラのレンズを低い位置まで持っていく勇気もでないの構図

ことの発端は午前6時半。部屋の換気をするため、網戸を残して窓を開けた。しばらくしてドタドタ!と音がした。目を離した隙に、ラムネさんが網戸に飛びかかり破いてしまったらしく。外に鳥でも見つけたのか、まあ、破かれたのは残念だが、体をどこかに打ち付けてないか心配で姿を探した。彼女はリビングのテーブルの下に隠れ、唸っていた。いつも驚くことがあったとき(高いところに登るのに失敗したなど)はこういったことがたまにあり、優しく声をかければ出てきてすり寄ってくるはずなのだが。今日は違った。
見つけて、目を合わせたとたん、消防車が目の前にあるのではなかろうかと錯覚するぐらいの大声で威嚇し、糞尿を垂れ流して体を震わせている彼女が、そこにいた。ああ、たかだか1mくらいとはいえ落っこちたのが怖かったのかな、と思い、声をかけながら撫でようとしたのが大間違い。彼女はドリルで虫歯をえぐられるような音を上げながら、差し出した私の左手を刺しては噛み、再び刺して・・・

以後、12時間。ずっと目を合わせないようにしながら過ごしている。目を合わせば当然、合わせなくても近くで少しでも動こうものならサイレンが鳴く。様子から察するに彼女自身も怯えており、かつ、いつものように甘えたい気持ちも残っているのかずっと側についてくる。しかし、側に来るにもかかわらず私が立ち上がったり書類を取ったりするだけで攻撃に変わるので冷や汗ものである。

今までとても温和な猫で、客人や宅配便が来ても擦り寄り、大嫌いな獣医に連れていくときだって文句を言いながらもケースに自ら入ってくれるような子だったのに。流血事件になるまでの攻撃性が、まるで止まない。

ネットでいろいろ調べ、獣医にも相談したが、今回の事故は彼女にとっての怖さの限界を超えたようで、その原因が私にあると思われているのかもしれない。人と猫との関係性を長い期間をかけて修復していかねばならないらしく。さて、お互いいつまで耐えられるのか?いつになったら和解ができるのか?
続きはまた後日。


新学期のご挨拶

4月はさくら。
我が社にも新入社員たちが入社し、
頬をうすら赤く染めて大きな声で挨拶をしていた。
なんだか遠いあの頃の自分を思い出してみたり。
春というのは、いいものですな。

自分も昨年の6月からサラリーマン生活をはじめ、
もうすぐ1年を迎えようとしています。

しかし・・・
サラリーマンになって以来、映像の仕事がない!!!
なんだか毎日企画書ばかりつくっている気がします。

どなたか撮影のあるお仕事くださーい。
フリーのときより、もっと幅の広い提案ができるはず。
インタラクティブな屋外広告映像からオンライン動画まで。

でないと、いよいよ演出家としての腕がなまりそうで怖い。
ウチにある撮影現場ツールたちも泣いております。
ああ、もういっそオンオフ切り分けて自主制作でも・・・
20160405


新年のご挨拶

無事、年が明けました、もう2月も終わりです。
いやはや、私、死んでいたわけではございません。むしろサラリーマンとして地味に頑張って生きておりました。
フリーのときには新しい誰かに出会えない時期、そこはかとない焦燥感が芽生え、独り言やフィクションの文章でも書いて発信していないと世の中から消え失せてしまうのではないかと気が気でなかったりしたものですが、今ではそんな飢餓感もすっかり失われ、目先に広げられた案件整理で毎日が過ぎて行きます。
まあ、そんなものが更新を怠っていた言い訳にはなりませんが、あまり良い傾向ではないですね。すぐそこに見えている自社の仲間や取引先の顔色ばかりを伺うことで満足し、自分の存在価値をそれらを鏡にしてしか判断できなくなるということも。今までは自主制作などの創作も、希望の持てる依頼業務も、気の滅入るお願い事も、全て仕事としてがむしゃらに頑張ってきたわけですが、それがだんだんと乖離していくのを感じてきています。今を生きるだけで疲れ果てる毎日。もちろんそれも悪くありませんが、一度はひと旗上げようと独り立ちしたわけですし、初心忘れるべからず、ですよね。もっと未来を見て、さらに頑張ろうと思います。
つまりこの独り言のようなホームページ(WordPress以前はブログではなかったので)を通して「清水りょう」という偽名を用いたキャラクターを生きながらえさせてきた行為は、心の奥にふつふつと燃え続ける作家魂を失わないためのものであり、作家性=清水りょうであるわけで(とはいえ便宜上会社の名刺も芸名のままにしていただいておりますが)。更新していかねばなぁ、ということでございます。今後ともお付き合いの程、よろしくお願い致します。

ああ、そうそう。
原作ものばかりの映画・ドラマ業界は真剣に向き合っていた観客を切り捨て、インターネットでくだらない暇つぶし動画をザッピングする時代になり、我々広告人もいかにアクセスを稼げるかに苦心する…そんな映像監督からすれば最悪の時代になりましたが。
死ぬまでに1本でいいから一般長編映画のメガホンを撮りたい!
その夢はまだ夢のままですが、その業界で生きる諸先輩方の志を応援させていただく事は続けています。そう、あれから10年経ちました・・・

日本映画監督協会、2月26日に80周年を迎えます!
今年は浅草でみなさんをおもてなし。私は照明係や案内係として会場を走り回ることになりました。残念ながら当日券などは無いようですが、もし応募されて鑑賞にいらっしゃる方がおりましたらひと言お声がけください。たぶん小汚い金髪を見かけたら自分でございます。

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歳をとると昔話が多くなる

capra15
おそらく15年?振りくらいに、自分が社会人になりたての頃にお世話になった編集室で仕事をした。

初めてAvidを教わったのもここだったし、独立後初めての仕事を紹介してもらったのもここ。徹夜で自主制作を手伝ってもらった思い出も。そういえば麻布十番祭りのときにはアイドルグループと集まりパーティー会場と化していたっけ。

気の抜けない駆け引きとバブリーな接待合戦が繰り広げられていた、当時の広告業界での日々で、唯一家庭的な雰囲気で迎え入れてくれた、自分にとってはオアシス的な存在でした。ここを中心に仕事をしようと思って近所に住んだりもしていたが、デジタル化が進みディレクターが自ら編集する時代になったりして、いつの間にか足が遠のいていたのでした。

そんな懐かしさが溢れ出し。
4年前に入社したばっかりだというエディターの方に、なぜか15年前のことを熱く語ってしまう自分がいて。ああ、いかんなぁ・・・と思った週末でした。

CAPRA(キャプラ)は、麻布十番でCMのオフライン編集室としてスタート。
現在はWeb動画やメインキングなどCM以外のメディアにも対応したCHUBOUという会社も立ち上げ、様々なニーズに応えることのできるデジタル編集室となっています。
編集は自分(自社)でやるもの、というデジタルネイティブ世代のディレクターも、毎日様々なディレクターの要望に臨機応変に対応し続けているエディターという専門職のシゴトを目にすれば、きっと通いたくなるはずです。


「動画」という言葉

「動画」はもういらない。
僕らはいつから、
ただ「動」くだけの「画」を
垂れ流すようになってしまったのだろう。

笑い、泣き、ときに驚きを。
作品で心揺さぶるプライドを、
忘れてはいけない。

「動画」はもう死んだ。
目にしたとたんに
リモコンボタンを切り替えられ
再生が始まればスキップされ
劇場にはもう誰も足を運ばない。

「動画」でなく、「映像」体験を。